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大晦日の歳末諷経
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新年明けましておめでとうございます。本年も変わらぬご厚情を賜ります様お願い申し上げます。
昨年は、当山副住職長男 璃博(りはく)が3月27日に得度式を厳修し、正式に曹洞宗の僧侶として僧籍簿に登録されました。役員や親戚縁者に見守られながら、お師匠さまから剃髪され、僧侶の名前を授かり、修行に必要な最低限のものを頂きました。当然のことながらお坊さんがいなければお寺を護ることはできません。本人もその大変さを自覚してくれたことと思います。
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正月飾り |
昨今、メディアで放送される寺院をとりまく様々な問題が目につきます。「宗教離れ」「墓じまい」「葬儀簡素化」といったキーワードに一番反応し、右往左往してるのは我々僧侶の方かもしれません。「水急なれども月を流さず」という禅語の如く、時代の流れはどんどん早く移り変わっていきますが、本当に大切な真理は変わらずにそこにあるという意味を我々は深く省察すべきだと思います。今までのやり方では寺院存続が危ないからといって、単なる一過性のイノベーションはリスクが高いです。まずは寺院基盤が盤石であると自信を持って言えるよう既存の檀信徒への布教教化、寺院の維持管理、後継者の育成、そして自己研鑽に務めてまいりたいと考えてます。本年もよろしくお願いいたします
副住職 合掌
示して云く、仏々祖々、皆な本は凡夫なり
凡夫の時は、必ずしも悪業もあり、悪心もあり
鈍もあり、痴もあり
然あれども尽く改めて知識に随ひて
修行せしゆへに、皆仏祖と成りしなり
今の人も然あるべし
我が身 愚鈍なればとて卑下することなかれ
今生に発心せずんば何れの時を待てか行道すべきや
今 強ひて修せば 必ずしも道を得べきなり
『正法眼蔵随聞記より』
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道元禅師のお言葉
(意訳)
どの仏も祖師も、皆もとは凡夫なのです
凡夫の時は、悪い行いもあり、悪い心もあった
鈍くもあり、愚かでもあったに違いない
けれども、皆それを改め、良き指導者に従い
仏の教えを学び、仏の行いを学んだから
みな仏となり祖師となったのである
今の人もそうでなくてはならない
自分は愚かで鈍いからといって卑下してはならない
この世で意を決しなければ、いつ発心することがあろう
今を一生懸命他に行じていれば
必ず道を拓くことができるのです